木造都市の夜明け : 「木の可能性」広げる老舗の挑戦 - 名古屋木材の丹羽社長に聞

「木」の可能性が見直されている。森林の保護や、木造建築のつくり方の話だけではない。素材としての木。本来、日本人に最も身近な存在だった木製品。それを循環型社会実現の切り札としてもう一度“復権”させ、プラスチックなどの石油製品にとってかわらせてみようと挑戦する老舗企業がある。1945(昭和20)年創業の木材製造販売会社「名古屋木材」がその一つだ。

銀行マンから老舗木材会社に転身した名古屋木材の丹羽耕太郎社長

「木のことなんか、実はぜんぜん知らなかった。でも、勉強するほどに面白いんだ」。名古屋市中心部を流れる堀川を望む同市中川区の本社で、丹羽耕太郎社長(63)は威勢のよい口ぶりで話した。
 恰幅(かっぷく)の良さからも、一見すると生粋の“業界人”かと思ってしまう。しかし、その経歴はまったくの異色。もとはバリバリの銀行マンだったのだ。
 旧東海銀行で支店長や総務部長を歴任。合併後のUFJホールディングでは常務、内部監査部長を務めた。「第2の人生」を考えていたところに誘いを受け、2002年6月に名古屋木材の専務に就任。1年後には社長として指揮を振るうことになった。そこでまず取り組んだのが、「経営理念」の策定だったという。
 「それまで経営理念がなかったから、社内で徹底的に議論させた。木の会社としてどうすれば社会に役立つか。半年かけて出てきたのが、“木材”から“エコマテリアル”へという考え方だった」
 人類が誕生して以来、長い目で見ればつい最近まで、ありとあらゆる生活用品が「木」であった。プラスチックなどの石油製品は、いっぺん使ってしまったら終わり。しかし木はやがて腐り、土に還り、もう一度木となって循環する。では木材会社として、プラスチックに変わってしまった生活用品をもう一度木に変えていくのが社会的使命なのではないか-。
 こうした考えを経営理念として掲げ、その達成に向けた事業計画の見直しや新たな技術開発に乗り出した。

 その一つの成果が「軟化圧密」。岐阜大学応用生物科学部の棚橋光彦教授と4年前から共同開発を進め、ついに実用化目前にまでこぎ着けた。
 軟化圧密とは高温・高圧の水蒸気中で木材をやわらかくさせ、そこに最大250トンの圧力をかけて凝縮し、再び高温・冷却化して形状を安定化させる技術。これにより木材の繊維同士がより密着することになる。面白いのは処理の仕方によって、木がゴムのようにぐにゃりと曲がる柔軟性も持たせられれば、逆にプラスチックのような硬さや“つや”も持たせられる。お湯をかけたら圧縮前の形に戻る「形状記憶」素材にもなるというから驚きだ。
 間伐材を含めたどんな木材でも加工でき、薬品は一切使わない。だから木の性質そのままで、さまざまな可能性を引き出せる。丹羽社長は「今まで木が使われていなかったまったく新しい分野で使ってもらいたい」。デザイン会社と組み、ligneous(木質の)という英語にひっかけた「LIGNOTEX(リグノテクス)」のブランド名も決め、中間素材としての普及をもくろむ。

 ゴムのように柔軟に曲がる木材。これも軟化圧密技術によって生まれた性質

ただ、乗り越えるべき課題はまだ多い。製造コストはプラスチックに比べればケタ違い。よほどの高級素材として付加価値をつけなければ勝ち目はない。一方で、通常の木製品との違いやメリットを消費者に強く分かりやすく訴えられるかというと、実はなかなか難しい。また、そもそも高温・高圧をかける製造工程も、余剰エネルギーの活用などでトータルの環境負荷を下げる工夫をしなければ、理解を得られにくいだろう。
 同社のこれまでの主力商品は、フローリングやウッドデッキなどの住宅部材。いずれも無垢(むく)材にこだわって老舗の信頼を築いてきた。しかし昨今の金融危機に加え、木材需要全体の低迷や新築住宅着工数の落ち込みなど、市場には逆風が吹き荒れている。
 それでも「志のある者は、事ついに成る」と、中国の格言を引いて信念を示す丹羽社長。
 木を知り尽くしてきた老舗企業で、異端の社長が巻き起こす新風。それがどこまでこの嵐を鎮め、未来への突破口を開けるか。正念場の挑戦が続く。
 (関口威人)

※お断り 上記記事で、「デジタルカメラのボディー」への応用に関する記述、写真がありましたが、メーカーとの共同研究試作段階のため、削除いたしました。 (2009年4月30日)