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ドイツ・フライブルク市の気候保護(第2回)
(2008年7月17日 09:00)

エネルギーコンセプトの成立―68年世代とチェルノブイリ

ドイツ・フライブルク市は増え続ける人口と拡大する経済という背景においても、2005年までに温室効果ガスの排出量をすでに7.3%削減しています(1992年比、CO2換算値)。人口は8%程度増加しているので、単純に人口1人当たりに換算するとマイナス13.4%という好成績。旧西ドイツの多くの都市は、日本と同じように軒並み微増か、あるいは現状維持という傾向をしている中で、これだけ削減したフライブルク市は、賞賛に値するでしょう。

この削減を可能とした数多くの取り組みの中で、とりわけ大きく貢献したのは、大きく分けて2つあります。一つは、これまで市外の発電所から購入していた電力を大幅に減少させ、コージェネレーションによる発電を大幅に増加させたこと。1992年にはほとんど市内では発電をしなかったフライブルク市は、2005年にはすでに約50%の電力をコージェネによって発電しています。もう一つの取り組みは、交通部門での削減です。人口が増加し、経済が発展、さらに人の移動量が増加する中で、車による移動量を抑制し、1992年と比較しても車による移動量は横ばいです。車の省エネ性能、つまり燃費が向上した分だけ削減を可能にしたというわけです。

もちろん、こうした削減を削減としてカウントするためには、そもそもエネルギーの消費量を増大させないことが前提になります。ドイツの国内基準を上回る省エネ建築の推進、既存建物のエネルギーリフォームの推進、そしてなによりも規律ある都市計画の恩恵で、人口増加と都市の発展によって増大するはずのエネルギー消費の圧力を抑えたことが、CO2削減に非常に大きく貢献しています。

フライブルグco2

さて、今回からはCO2削減の切り札といえるコージェネの推進を柱にした「エネルギーコンセプト」についてお話を進めていきたいのですが、まずは、それがどのようにして拘束力ある市議会決議として採択されたのかを知るために、少し時間を戻しましょう。ときは1968年、世界中で、ドイツで社会運動が真っ盛りの時代です。この頃のドイツは、高度成長期のピークに達していしたので、エネルギー需要はうなぎ登り。当然、電力需要の将来予測もかなりの右肩上がりを示していました。そこで1969年に、州政府はフライブルク市周辺に原子力発電所の建設計画を発表したのです。「68年世代」と呼ばれる熱き学生や社会運動家、そして一般の市民までもが、この計画に断固として反対します。その当時人口16万人だったフライブルク市では、1975年に2万8千人(!)という信じられないほど大規模なデモ活動が繰り広げられました。この反原発運動は、その後も息を切らすことなく続けられ、結局チェルノブイリ事故が発生し、州政府が計画を断念する1986年まで続けられました。

つまりフライブルク市民は、原子力発電、同時に代替エネルギーの模索と省エネルギー推進というテーマに対して、量と質、そして時間をかけて直面し続け、この分野に対する興味と認識を深めていったのです。その結果は市議会の会派の構成(緑の党の台頭や他の会派の環境政策への理解)、そして行政の方針にも影響を与えます。
最終的には1986年のチェルノブイリというインパクトによって、同年中にフライブルク市議会はこれまでにドイツの他の都市では例を見ないほどの「エネルギー供給コンセプト」を可決することになりました。このコンセプトでは〈絶対的な脱原発方針〉〈エネルギーの高効率化をはかるためのコージェネ推進〉〈省エネ推進〉〈再生可能エネルギーの推進〉を柱にしています。今でこそ珍しくない目標といえますが、当時の社会状況を考えるとこのコンセプトはまさにパイオニアで、これによって環境首都、グリーンシティと呼ばれるフライブルク市の礎を築いたともいえるでしょう。

それでは、次回からは具体的なエネルギーコンセプトの内容と、これまでに行った取り組みについて説明を加えてゆきましょう。

(環境ジャーナリスト・村上敦

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