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	<title>グッドニュース・ジャパン</title>
	<link>http://goodnews-japan.net/news</link>
	<description>日本にあふれているグッドニュースを発信します。「グッドニュースには日本を変える力がある」</description>
	<lastBuildDate>Fri, 10 Oct 2008 00:10:02 +0000</lastBuildDate>
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	<item>
		<title>めざすは、ユートピアだった里山と「菅古道」の復元　－　小林栄次郎さん</title>
		<description>







長野県木祖村で、里山を昔のような実り豊かな情景にしたいと情熱を燃やす人がいる。菅古道の復活にも取り組む、小林栄次郎さんに話を聞いた。

「私が中学生の頃、菅古道は学校に行くときの道、遊びに行くときの道。古道下に望む里山の風景は、山ツツジやササユリが咲き乱れるユートピアのようでした」と語る。それからおよそ40年。今、その古道と里山は－？


ユートピアのようだったと語る、木祖村の里山の復元をめざす小林栄次郎さん

長野県木曽郡木祖村。木曽川の源流のあるところだ。菅地区にある菅古道は、木曽から飛騨や松本に通じる人馬の道、また薪や炭を搬出するための道でもあった。明治18年に、村人総出で古道に沿って水路を作り、この菅村水路のおかげで米作ができるようになったという。秋の収穫時には、小林さん言うところの、ホレボレするほど美しい黄金色の棚田の風景が広がっていた。ところが、馬が消え、炭焼き農家が消え、利用されなくなった古道にはいつしか藪が覆いかぶさり、道は姿を消した。

 
　甦った「菅古道」から見下ろす、のどかな里山の風景

「栗、グミ、山梨、あけび、山ぶどうなどが豊富にあって、ワラビ、シオデ（野生のアスパラ）、フキなんか抱えるくらいに採れたんです」。小林さんは昔の里山の風景を取り戻したいと、定年になる10年ほど前から、竹藪や雑木林となっていた耕作放棄地を借り受けて切り開き、ミョウガや米を作りはじめた。4年前、熊手を持って古道の藪をかきわける、初老の男性と出会う。野中杏一郎さん。菅古道は野中さんの所有する山林の脇を通っていた。菅古道の復活に執念を燃やす野中さんと意気投合した小林さんは、古道の復元にも取り組むようになる。仲間の応援もあって、今、菅古道は土の感触がやさしい、美しくうねった道として全長４キロがほぼ復元された。そこから望む里山では、瞼に焼きついていた四季折々の彩りが徐々に見られるようになってきた。

古道復活の恩恵で間伐もできるようになった。木を間引くと、太陽が大地に差し込む。「オニヤンマやアゲハチョウがすぐに飛んでくるようになる。沢にはイワナが増えてきています。ワサビももう少ししたら、昔のように生えてくるのでは」。藪だらけの真っ暗な沢には、川虫など魚のエサとなる生物が棲息しづらかった。「昔の山ツツジが残っていて、ようやく花が咲くようになりました」。山が長い眠りから醒め、小さな命たちがいっせいに萌え出したよう。 


「雨が降って山が息をしはじめた」と、小林さんは言う

沢沿いを歩く。沢の水が年々減りつつあるという。落ち葉は、1割くらいしか堆積していないとも。「昔は、落ち葉で歩けないほどでした」。それは、山に保水力があったことを意味する。密集した中の広葉樹は不健康で葉も少ない。間伐して、木漏れ日の当たる森にすると、下草が生え、広葉樹の葉も根張りもしっかりして保水力も増す。結果として土砂崩れなどの自然災害が防げるのだ。植林後、長いあいだ放置されていた現在の山では、保水力が弱まっているという。 


山から切り出した間伐材で暖炉に火をつけ、風呂もわかす

リタイアして２年。毎日、藪を刈ったり、間伐したり、沢の整備をしたり。夜もワクワクして眠れない。まるでとりつかれたように。「木を切ると、風が変わるんです。そうすると、風景も変わる」。これ以上の趣味はない、と少年のような瞳で話す。「今、山を守らないと、たぶん数年でここは限界集落になってしまうでしょう。イノシシが、もう我が家の軒下まで来ています」。鳥獣被害のせいで、踏みとどまっていた農家もついには希望を持てず、離農していく。一刻も早く間伐をし、動物が本来の姿で山で暮らせるように山の手入れを急がなければ。小林さんらの情熱が、行政をも動かしはじめた。

「菅古道は、動物と人間にとっての生命線なんです」。甦った道に必要なのは、大勢の通行人だ。小林さんは多くの人々が、菅古道を踏みしめながら、里山の風景を楽しんでくれることを心から願っている。

（浜村良子）

＊関連記事：http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/08/4208 </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/10/4185</link>
			</item>
	<item>
		<title>秋の古都で地球にやさしく －第2回マイアースデー京都開催 　</title>
		<description>「自分が地球にできる身近なことから考えよう」をテーマに、2008年９月28日（日）、京都・平安神宮に隣接した岡崎公園で第2回マイアースデー京都が開催された。マイアースデー京都は、４月27日にも実施されており、今年２回目の開催となった。

天候は時々小雨が降るあいにくの天気にもかかわらず、アジアからの観光客など、多くの来場者があり。音楽やワークショップ、そして20数軒が出店したエコマーケットなどを楽しんだ。


自給自足を生活基盤に生きる家族5人のバンド”The　Family”のステージ

メイン会場でライブが始まると、ステージ近くにちいさな子供たちがわっと集まった。
”The　Family”の暮らしから感じた楽しさ、希望、喜びを優しい歌声は、子供たちの心を掴んだようだ。

ライブの途中、自転車発電の漕ぎ手が同時にペダルを止めたためか、マイクから音が出なくなるハプニングがあり、エネルギーの大切さを実感する一幕も。


お祭りサンバパレード


晴れたらヨガワークショップ

(東山高志) </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/09/4489</link>
			</item>
	<item>
		<title>森と沢と里山の風景に出会える道　－　長野県木祖村の「菅古道」</title>
		<description>暑かった夏が去り、皆さんお待ちかねの行楽のシーズンがやってきました。近場もいいですが、ちょっと足を伸ばして日本のヘソ、木曽川の源流のある、長野県木曽郡木祖村を訪れてみませんか？のどかな里山の風景や、燃えるような紅葉を眺めながらのハイキングが楽しめます。ここでは２回に分けて、８月末に行われた全国源流シンポジウムのエクスカーションに参加した折の、「菅古道」と「水木沢」散策の様子をお届けします。

    
　 歴史ロマンを掻きたてる石碑。86番の意味するものは？（左） 

荒れ果てた古道が復元され、木祖村の新たな観光名所となった菅古道。民蘇堂野中史料館の裏手にあるのは、“大宝元丑年” “11面観音菩薩像” “八十六番” と刻まれた石碑です。この存在は、地元のお年寄りしか知らなかったそうですが、古道復元に伴い、最近になって、797年に完成した続日本紀(しょくにほんぎ：日本書紀の次の勅撰史書)に記されているものと内容が合致することが判明したそうです。もしや、日本最古の憲法、大宝律令が制定された700年代に建てられたもの？・・でも、“宝”の字が新漢字なので江戸時代に建立か？・・との推測も。であれば、大宝とは江戸の私年号の１つ？・・なんだかワクワクするような、歴史ミステリーですね。小林さん曰く、「京都から順に木祖村へとこの石碑が一里ごとに建立されていたのでは？一里が４キロなので、京都からここまで約90里とすると、86はなるほど合点がいく数字です。85、87番が見つかると解明されるのですが・・・」。案内役の小林栄次郎さんが語る歴史ロマンに、胸ときめかせながら古道へと続く道を歩みます。

  
菅古道の入り口。手作りの椅子たちの出迎えがうれしい


藪に埋もれていた古道が復元され、新たに建てられた標識

古道の入り口では、手作りベンチと丸太の椅子がお出迎え。新たな標識も設置されました。足元の土がやわらかく、一歩進むごとに爽やかな空気に包まれます。古道周辺には昨年、百草丸の原料となるキハダや、木祖村の工芸品、お六櫛の原料となるミネバリの苗木が、また今年はクヌギやナラ、栗などの広葉樹が地元の中学生によって植林されました。 


甦った菅古道を歩く。足元の土がやさしく、気持ちいい

間伐をしたおかげで魚が戻ってきた沢では、せせらぎが心に響きます。沢の周辺には大きな草ソテツが密集し、まるで熱帯にいるかのようなエキゾチックな雰囲気でした。林の中の平らな部分は、昔、水田だったところです。こんな高所まで米作をしていたなんて、驚きです。田んぼだった時代は、さぞ、棚田の風景が美しかったことでしょう。昔からの言い伝えで、このあたりは源氏の落人たちが暮らしていたところだったそうです。今年、小林さんらが周辺の間伐を進めていたところ、林の中に墓を発見。「法悦禅女」と彫られた立派な石碑で、数個の石塔も一緒に建立されていました。やはり源氏・・・？？？

  
魚が戻ってきた沢　　　　　　　　　　　　       大昔は水田だった、林の中の平地


草ソテツの群生。熱帯のようなエキゾチックな光景が広がる

菅古道の木々の間から望む里山は、のどかで美しく、この日はソバの花が咲いている畑や、黄金色の稲穂が見えました。これからも、四季折々に違ったすてきな風景が見られることでしょう。皆さんも、ぜひ、甦った菅古道を歩いてみられてはいかがですか？


古道沿いの木々の間からのぞくソバ畑。白い花がきれいでした

（浜村良子）

＊菅古道：ＪＲ「薮原駅」下車、菅方面バス（全て１００円）７分「下村（しもむら）バス停」下車、目の　　　　　　　　　　               前が民蘇堂野中史料館（古道のスタート地点）

 ＊問い合わせ：　 木祖村観光協会
　　　　　　　                  ０２６４－３６－２５４３(TEL)
　　　　　　　　　    小林栄次郎（古道等整備担当）宅
　　　　　　　　　　　　       ０２６４－３６－３０２６（TEL＆FAX）
　　　　　　　　　　　　　     ０９０－１６６５－７８５２（携帯）　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　 </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/08/4208</link>
			</item>
	<item>
		<title>企業風土・社会風土を変えていくことが大切 － 岩間芳仁・自然保護協議会事務局長に聞く</title>
		<description>ボンで開催された生物多様性条約第９回締約国会議（COP９）では、企業が生物多様性の保全に積極的に取り組むことを目標とした「ビジネスと生物多様性イニシアチブ」のリーダーシップ宣言がなされました。COP10でもビジネスと生物多様性は重要なテーマとなることが予想されます。日本の経済界として、COP10に向けてどんな取り組みをしていくのかを、バルセロナで5日から始まった第４回世界自然保護会議にも代表を送り込んでいる社団法人日本経済団体連合会・自然保護協議会の岩間芳仁事務局長にお聞きしました。 



―COP10に対して、経済界としてはどんな取り組みをお考えですか。

2010年は、生物多様性条約のポスト2010年目標※が決まる節目の年です。COP10では途上国のプロジェクトをどういう形で先進国が支援するかについての政策の枠組みに関する議論が活発に行われるでしょう。森林整備、希少種の保全、失われた自然の復活など世界の生物多様性の保全に対して日本としてどのような貢献をしていくのかを、国内できちんと議論する必要があると思います。単にお金を出せばいい、会議を開けばいい、イベントを行えばいいというのではありません。日本としての優先順位、日本の強みを活かせるものは何かを考えて、地に足の着いた議論を行う必要があります。企業としても、生物多様性の議論に積極的にかかわっていかなければならないと思っております。

一部で議論されているような資金メカニズムの議論というよりは、企業の活動自体における生物多様性への実質的な配慮が大事で、そのことを世界に発信していきたいと思っています。また、従来のようにCSRの観点から取組む、というよりは、NGOや自治体などと協力して地域力を高める方向で企業が可能な貢献を支援していくことが大事だと思います。21世紀、22世紀に向けて、企業として努力しなくてはいけない方向を見せながら、その集大成を発信していきます。世界の人たちやNGOの協力を得て、企業で今後のあり方をまとめていきたいと考えています。

※「2010 年までに現在の生物多様性の損失速度を顕著に減少させる」という、2002年の生物多様性条約第６回締約国会議（COP６）で採択された目標。COP10では、2010年目標に替わる目標を決める予定。

呼び水効果もたらす自然保護基金

―地球温暖化防止に比べて、生物多様性への取り組みは全体的に遅れているのではないですか？

日本経団連は、世界自然保護連盟（IUCN）に世界の経済団体で最初に加盟しており、４年に１回の世界自然保護会議にも毎回、会長か幹部が出席しています。91年に公表した地球環境憲章や2003年の自然保護宣言には、生物多様性保全への配慮が入っています。

私たち自然保護協議会もNPOとのパートナーシップの形成に努力しています。自然保護基金がこれまで支援してきた個々のプロジェクトは約800件に上っています。自然保護基金の特徴は、まとまって大きなお金を出しているのではなく、経団連の基金がサポートすると他の企業や公的機関からの支援も得やすくなるというところにあります。資金援助を得る場合、入口がたいへんですので、自然保護基金の支援は呼び水効果の役割を果たしてもいます。

自然保護協議会会長の大久保尚武積水化学社長は、自然保護基金が支援している海外や国内のNPOを視察して回っています。地域の関係者や自治体、議会、政府の人たちと海外で懇談の場を持つと、プロジェクトを担っているNPOが評価されていることを地域の関係者にアピールすることができます。特に途上国ではそうしたことが大切になります。

本業での生物多様性保全への取り組みが大切

―本業での取り組みをどう促進していくかが重要ですね。

そうです。今は、企業の貢献について話し合うと、企業がお金を出すという話ばかりになります。生物多様性の問題が散発的に地域で起きているというならそれでもいいのですが、今は世界レベルでアクションをしていくことが大事です。どこか大きな企業が何かやればいいというのではなく、多くの企業が、生産、消費だけでなく、調達、物流、廃棄、リサイクルなど事業全般で生物多様性に配慮し、市民社会と連携した事業活動を行わなければなりません。本業でやることは何かを押さえることが大事なのです。

また、従業員や家族が無関心、というのでは本末転倒です。日本には雇用されている人は５千万人います。雇用者とその家族の意識が生物多様性保全重視に変われば、日本の人口の多くが生物多様性の保全に関心を持つということになるのです。従業員や家族の意識付けを行うことは非常に重要だと思います。これらについても、NPO/NGOとの協力が大事です。NGOとのプロジェクトやイベントを通じて、長期、継続的に取り組んでいくことで、意識は高まります。

―より本質的な変化を起こしていこうという考えなのですね。

単にわが社はいいことをやっています、生物多様性に関心をもっていますとPRするのは初歩的です。企業風土、経済・社会風土を変えていくことが大切で、そこに焦点を当てた取組みが必要なのです。2010年をそのいいきっかけにしたいと考えています。これまでCOPへのビジネスの参加はあまりありませんでしたが、NGOと協力して流れをつくっていきたいと思っています。

今、地球全体の問題として考えなければならないのは、企業のPRにとどまらない、より低負荷な環境技術の応用による、産業化や自然回復、生物多様性の持続可能な利用です。また、自然界の貴重な遺伝資源の利益を衡平にもたらし、かつ、その資源を世界の人が平等に使い合えるような仕組みが求められます。

多くの日本人は、自然を大事にし、うまく付き合っていくということが、意識としてはありますが、今はそれを忘れがちな環境にあります。遺伝子的にはあるので、それをきちんと表に出すきっかけが必要です。社会としてやるには、COP10のような大きなイベントはすごく意味があります。こうした価値観を世界と共有するのは、すごく意味があると思います。プレゼンがうまいとか、パフォーマンスがうまいというのではなく、地道で具体的なアクションを長期、継続的に行うことが大事で、そういうことに貢献していきたいと思っています。

（安在尚人、写真・伊藤剛） </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/06/4487</link>
			</item>
	<item>
		<title>生物多様性フォーラムがNPO法人設立総会＆記念講演会</title>
		<description>
生物多様性条約第10回締約国会議（COP10）に向けて今春結成された市民グループ「生物多様性フォーラム」が2008年10月５日（日）、名古屋市の本山生活文化会館で、特定非営利活動法人（NPO法人）設立総会と記念講演会を開催した。生物多様性フォーラムは、ボンで開かれたCOP９に参加したり、生物多様性条約事務局のジョグラフ事務局長とNGOの意見交換会を開いたりといった活動を展開してきており、NPO法人化することで活動基盤の強化を目指す。
COP10に向けては、生物多様性フォーラム、伊勢・三河湾流域ネットワーク、中部ESD拠点の３者が中核となって、中部地方のNPOのネットワーク化に向けた呼びかけが始まっている。東京でもNGO/NPOのプラットフォームづくりに向けた会合が９月30日に開かれるなど、ネットワーク化に向けた動きが本格化し始めており、今後、これらの動きを全体としてどう調整していくかが課題となっている。


記念講演をする武者小路公秀さん

５日の記念講演会では、元国連大学副学長の生物多様性フォーラム代表、武者小路公秀さんが「生物多様性条約の育ち方と育て方」と題して、生物多様性条約が国連と市民との連携によって生まれてきたいきさつを紹介した。そのうえで、武者小路さんは「生物多様性条約は法律的には立派だが、思想的には不十分で、アジア的な価値観を入れていくことが大事だ。COP10では、生きとし生けるもの、棲み分け・共生など、生命の多様性を大切にするアジアの生命観を伝えたい。持続不可能な世界を変えるには、変えるエネルギーははっきり文句を言う西欧、変え方は生命の多様性を大事にするアジア、という２つを合わせた運動が大事だ」と語った。
引き続き行われた設立総会では、７人の理事など新たな役員を選任し、事業計画などを承認した。

記念撮影に収まる新役員（前列）と会員

生物多様性フォーラムの今後の活動について、理事の原野好正さんは「COP10に向けて、全国的に行う活動と、海外からのNGOの受け入れなど地元でやらなくてはいけない活動があり、地元での活動の中心的な役割を担いたいと考えている。中央での国際的な情報はなかなか中部に伝わらないので、中央のNGOと地元のNGOとのつなぎ役を果たしたい。NGOが行うイベントについては、自分たちの役割について、いろんな人たちと話し合っていきたい」と述べている。
（安在尚人） </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/06/4482</link>
			</item>
	<item>
		<title>《一目量然》今月のテーマ「ペットボトルの収集量」</title>
		<description>■”非常事態”だから収集できた

ペットボトルの原料は、ポリエチレンテレフタレート（polyethylene terephthalate）という合成樹脂。英語表記の頭文字をとって「PET（ペット）」と呼ぶ。
今や手にしない日はない、というほどにまで普及したペットボトル。日本に初めて登場したのは1977年、しょうゆの容器として使用された。82年、厚生省（当時）が清涼飲料水用容器として認めたころから広まり始め、携帯に便利な500ミリリットルボトルが登場した96年以降は、爆発的にその需要が伸びていった。

ほかの資源と分別して週に1回ごみステーションへ出す、というペットボトルの資源収集を名古屋市が始めたのは2000年8月から。同年度は8カ月で3751.6トンを収集。翌01年度には5842.7トン、07年度には8851.1トンと、年々収集量は増えていった。
「藤前干潟にごみ処分場が建設されていたら、ペットボトルの収集は行われていなかったかもしれません。“非常事態”だったからこそ、始められたのでしょう」。収集したペットボトルの選別・梱包（こんぽう）などを市から委託されている愛知県古紙協同組合事務局長の平出勝さんは、そう語る。

 

ペットボトルが分別収集されずに以前と同様に不燃ごみとして埋め立てていたら－果たして名古屋はここまでの環境都市となっていただろうか。

分別収集がスタートした当時と比べれば増えているが、ここ数年のペットボトルの収集量はほぼ横ばいだ。その原因として・収集制度が定着した・ペットボトルの使用量が頭打ちとなった・軽量ペットボトルが開発された－ことなどが考えられる。
平出さんは「他地域からの転入者や単身者などにルールを徹底し、収集率を高めることが必要」といった課題を口にする一方、「環境のことを考えると、この先収集量は減っていった方がいいんです」とも言う。
収集されたペットボトルは、リサイクル業者に引き渡され8ミリほどの大きさのペットフレークに粉砕加工される。これを原料に、衣類や卵パックなどの商品が作られる。
こうしてリサイクルすると、ごみの減量に一役買うが、その一方で、新たなエネルギー負担が発生することも、また事実だ。ペットボトルの使用そのものが減れば、余分な負荷を軽減できる。収集量の減少を良いことだとする理由が、ここにある。
分別収集を通じて、市民の環境への意識はすっかり高まった。リサイクルの大切さを学んだ市民が次に取り組むべき課題は、「リデュース（発生抑制）」だといえよう。 </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/06/4480</link>
			</item>
	<item>
		<title>区画整理進む中、音楽を奏で稲刈り － 名古屋市・中志段味の野田農場</title>
		<description>土地区画整理のために移転を迫られている名古屋市守山区の野田農場で2008年10月４日（土）、名古屋市の生物多様性アドバイザーである広田奈津子さん（NPO環音代表）の呼びかけで集まった市民らが、労働歌を奏でながら稲刈りを行った。田んぼから水が沸いているという珍しい場所で、子どもたちは稲刈りの後も泥んこになりながら、気持ちよさそうに遊んでいた。


水につかった田んぼで稲刈りをする人たち 

名古屋市北東部の守山区中志段味で300年以上にわたって農業を営む野田農業。絶滅危惧種の生き物やクロガネモチの大木が残るこの場所から、北側の２㍍かさ上げした造成地への移転を求めらているが、その土地では農業は続けられないと、松原武久名古屋市長らに宛てて署名を提出するなどして、農場や自然豊かな環境をそのまま残すよう訴えている。

一方、名古屋市は、名古屋を生き物と共生する持続可能な都市にしていくための指針となる「生物多様性なごや戦略」づくりを進めており、広田さんは策定会議のしみん検討会議メンバーとして、専門家と市民をつなぎ、市民有志との協働プロジェクトを生み出していく役割を担っている。広田さんは「農家が減反政策でお金をもらって農地を簡単に手放してしまうのは、機械化で効率を求めた結果、収穫量が上がっても、人の助け合いも労働しながら歌うこともなくなり、農業が楽しくなくなったからでは」という思いを抱いていた。NPO環音で海外との音楽交流を続けていることもあって、自給率についての難しい話をするのではなく、農業を楽しくすることから始めようと、プロジェクトのはじめの一歩として、田んぼで生演奏をしながら稲刈りをしようと仲間に呼びかけた。


作業をする人たちのかたわらで三線を弾く広田奈津子さん

この日は、近郊の家族連れなど20人ほどが参加した。田んぼから水が沸いているため、稲刈りといっても田植えのように水がたまった田んぼでの作業で、子どもたちはみんな泥んこ。途中、広田さんたちが、沖縄の労働歌「安里屋ユンタ」を三線（さんしん）で演奏すると、田植えをしている人が、伝統に習って即興で「志段味よいとこ～♪」と歌声を響かせた。

10㍍四方ほどの田んぼの稲刈りはあっという間に終わったが、子どもたちは、稲を刈り終わったたんぼで、いつまでも泥遊びに興じていた。


泥水につかって遊ぶ子どもたち


作業が終わった後には、そばがきや赤飯が振る舞われた

しかし、この光景が来年も見られる保証はない。田んぼの周りでは、２日前から区画整理組合に委託された業者が草刈りをはじめ、絶滅危惧種を含む豊かな自然が残っていた農場の土地は、すっかり姿を変えてしまった。野田農場の野田幸子さんは「許可を出していないのに、勝手に草を刈られてしまったんです。いろんな生き物がいる草ぼうぼうの環境の中で稲刈りをしてもらうつもりだったのに…」と嘆く。

クロガネモチの木と野田農場を営む自然環境を守る会の会長を務める浅沼秀夫さんは、藤前干潟を守る運動でも中核的な役割を演じた経験から、「藤前と同じように、大勢の市民が残せという声を上げれば、野田農場は残るでしょう」と語る。生物多様性条約第10回締約国会議（COP10）の開催地である名古屋に残された数少ない貴重な自然が守るために、名古屋市など関係者がどんな対応をするのか、しっかり見守っていく必要がありそうだ。

（安在尚人） </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/05/4474</link>
			</item>
	<item>
		<title>日本初、「固体発酵法」を実用化したオンリーワン企業　－　東海リソース株式会社</title>
		<description>東海リソースは2005年に設立された、名古屋に本社を置く小さな会社である。そこが日本初のビジネスモデルを開発、全国から企業や行政、ベンチャー･キャピタルなどが、視察に訪れているという。興味を惹かれて、愛知県海部郡飛島村にある事業所に足を運んだ。


日本初のバイオエタノール固体発酵プラントについて語る大田克己専務

大田克己専務に話を聞いた。同社は、食品製造業者より排出される食品残さから、燃料などに用いるバイオエタノールを製造し、同時に家畜用飼料と農業用肥料も製造するという、一石三鳥？！ものリサイクル・ビジネスモデルを開発した。

国内で初めて実用化に成功した「固体発酵法」とはどのようなものか？バイオエタノールは従来、液体発酵法で作られ、コストのかかる廃液処理が課題だった。対して固体発酵法では、高濃度の蒸留廃液を排出することなくエタノールが製造でき、しかも蒸留残さを殺菌乾燥させれば飼料・肥料になるという、低コストで低環境負荷の多段的高度再生利用が実現した。原料のバイオマスをうまく水分調整し、酵母や酵素剤を入れ、固体糖化・発酵させ、減圧蒸留すれば、エタノールと蒸留残さ（飼料・肥料）になるという流れだ。

 
さまざまな種類の食品から実験的に生成された、香りの異なるエタノール



原料は、製造工程でカットされた廃棄部分のポテトチップスなど。家畜飼料は最終的に消費者の口に入るため、安全・安心にこだわり、生ゴミや遺伝子組み換え品などは使用せず、未利用の食品廃棄物系バイオマスを食品メーカーと連携して安定的に供給してもらっている。日本の家畜用穀物飼料の約９割が輸入品で、原料となるトウモロコシがバイオエタノール生産のため高騰し、畜産農家の経営を圧迫している。高機能飼料が国内で安価に量産されれば、畜産業界にとっては大きな救いとなる。しかも元手となる原料は、元来、廃棄されていたものだ。

同社では発酵、蒸留、乾燥に必要なエネルギーのカーボンオフセットとして、バイオエタノールボイラーを開発し、生成されたエタノールを化石燃料の代わりに使用している。これも日本初。まさに循環型のオリジナルプラントが誕生した。

     
日本初の固体発酵オリジナル・プラント　　　　　　　　　ポテトチップスの食品残さから作られた飼料

固体発酵の技術そのものは、中国の白酒（パイチュー）をヒントに東京農業大学が開発していたが、原料は生ごみだった。そこで、食品残さを利用するよう、大田専務が熱心に働きかけ、産学協働でこの実用化にこぎつけた。同大研究室研究員で醸造学博士の本多宏明さんが、共同研究者として定期的に訪問。研究に没頭し、事務所で寝泊りすることもあるという。本多さんは、来春には正社員として働く予定だ。


醸造学博士の本多宏明さん



東海リソースは、社団法人愛知県養豚協会食品残さ利用部会の有志等が集まり設立された会社で、県の「エコタウンプラン事業」に応募し、日本を先導するリサイクル技術や事業システムを持つ企業として、事業開始2008年度の補助対象事業者に選定された。


食品残さからできた飼料の袋が並ぶ事業所２階。奥に事務所がある

現在のところ、一日に約５トンの食品残さから約２トンの飼料と、約380リットルのエタノールを製造する。本多さんらはさまざまな種類の食品残さで実験をくりかえし、高品質かつ効率化を追求する研究の日々を送る。大田専務は、「この製造方法をベストとは思っていない。一年後にはもっといいものができているはず」と胸を張り、将来展望を、「どこまでも農業にこだわり、机上論でなく実践論で、持続可能な循環型ビジネスモデルを構築していきたい」と語る。 

白衣に身を包んだ本多さんは言う。「寝る間がほんとうに、惜しいんです」。真に持続可能な社会に向かって歩む曇りのない眼差しに、日本の未来における一筋の光と、ベンチャー企業の底力を見た思いがした。



（浜村良子）



















 </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/04/4038</link>
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		<title>ナゴヤのDNAは「宗春」にあり－大市民会議、華やかに初開催</title>
		<description>　名古屋の知られざる歴史やサブカルチャーを掘り起こし、地域の発展を考える「ナゴヤのDNA発見!? 大市民会議」が2008年10月2日（木）、名古屋市中区栄のナディアパークデザインホールで初めて開かれた。ナゴヤの活力の源を第7代尾張藩主・徳川宗春（むねはる）に見いだし、現代にフィーチャーしようという大胆な企画。マルチタレントとして知られるリリー・フランキーさんらも招いて、華やかで熱い「ナゴヤ論」が交わされた。


7代尾張藩主・徳川宗春のイメージについて語る名工大准教授の北川さん（左）と
「ゼットン」社長の稲本さん

　中部経済産業局の「コンテンツ活用型地域振興事業」として、産官学による実行委員会が主催。約350人の参加者はネクタイ姿の行政マンから巻き髪の“名古屋嬢”まで幅広く、華やかな雰囲気となった。
　オープニングはヒップホップと名古屋城などのスライドショーという異色のコラボ。続いて企画の中心人物である名古屋工業大学准教授で建築家の北川啓介さんと“ナゴヤメシ”ブームを築いた飲食店チェーン「ゼットン」社長の稲本健一さんが徳川宗春について語るユニークなトークショーが始まった。
　宗春は江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の倹約令に反し、ぜいたくも認める開放政策をとって庶民の絶大な支持を得た。一方で家族愛や隣人愛も重視したという。北川さんはこうした宗春の価値観が、堅実さと派手さを使い分け、地元を愛する現代の「ナゴヤ人気質」に脈々と受け継がれていると指摘。稲本さんは「不況でダメな時代にこそ、こんな名古屋の特質が生きる」と主張した。


「名古屋を首都に」と語るリリー・フランキーさん（左）と福永ちなさん

　「インタラクティブ・トークライブ」と題した第２部には、福岡県出身ながら「名古屋への首都移転」を支持するというリリー・フランキーさんと、愛知県出身のグラビアアイドル福永ちなさん、名古屋から全国区となったヒップホップグループ「nobodyknows+（ノーバディノウズ）」のメンバーらが登場。会場の参加者からの質問に答える形でトークが進んだ。おでん屋台の前に腰掛けたリリーさんは、「東京にいる名古屋の人ってすごく熱く地元を語る。名古屋ってそんなに切羽詰まった田舎じゃないのに。だからいっそのこと日本の首都にしちゃえばいい」と話し、会場をわかせた。
　会議は今年から毎年開催を目指すという。
（関口威人） </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/03/4472</link>
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		<title>トキ安住の地への道まだ見えず - 高齢化で進まぬ無農薬・有機肥料への転換</title>
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2008年9月25日　トキが２７年ぶりに佐渡の野へと戻って行きました。かっては日本各地の人里にいた決して珍しい鳥ではありませんでした。しかし、20世紀に入ると、徐々にその数は減少、1981年　佐渡に残っていた最後の５羽を捕獲し、また今日に至りました。 

過去、絶滅への一途をたどった原因の一つとして、農薬の使用・機械化により、田んぼからエサであるドジョウやカエルが居なくなったこと、農薬に汚染されたエサを食べることで赤ちゃんができなくなったなどの生体障害が指摘されています。 

そのため、佐渡市では無農薬・有機肥料の田んぼつくりを積極的に奨励、農家の人たちに協力を呼び掛けているようですが、まだ全島を通しての動きとはなっていません。 

なぜトキにも人にも安全な田んぼ作りに佐渡の農家の人たちは腰を上げようとしないのか、たんに今までのやり方を変えるのがおっくうだ、というだけではないようです。 

 

佐渡においても農業の高齢化が進んでおり、７０才を超えてなお、米作りをしている方が多くいます。 

農薬を撒かないということは稲以外の雑草も田んぼの中にたくさん生えるようになり、今までにない病気や害虫も出てくるということです 

数か所に点在する広い田んぼの雑草を　だれが取るのでしょうか？新たな害虫・病気の予防や退治には　どうやっていけば良いのでしょうか？ 

また、有機肥料にすると肥料の質や形が変わってきます。一人の手作業ではとても間に合いません機械を使うにしても、有機肥料に合った専用の機械を新たに購入しなければいけなくなることもあるようです。お年寄り夫婦の米づくりの手伝いをさせてもらいました。 

「（無農薬で）やったらいいのはわかるし、やってもいいとも思う。　けど、俺っち二人じゃ手が回らん。」　 



確かに、今の農薬使用・機械化した田んぼでさえ　手一杯そうでした。 

放たれたトキには、どれが安全な田んぼであるかの見分けはつくはずも無く、とは言ってもなかなか切り替えられない農家の実情もあります。人によって居場所をなくし、人によって助けられ、延命してきたトキと人との歯がゆい関係が、

今から佐渡で始まります。

（ＳＡＤＯ伝統文化と環境福祉の専門学校　環境マネジメント科１年　　水野　新） </description>
		<link>http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/02/4470</link>
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