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「あゆち」思想の源流を探る ④ 「あゆち」の原風景-ヤマトタケルと浦島太郎
(2009年1月7日 09:00)

どのあたりまでを「あゆち」の地ととらえたらよいのか。海からの幸福な風が吹き渡っている地域はどこまでか。どうやら木曽川上流域あたりがその辺境のようだ。木曽福島、妻籠、馬籠、中津川に至る木曽川沿いは木曽谷といわれ、そこに「寝覚の床」(ねざめのとこ)があり、竜宮伝説が伝えられている。助けた亀に連れられて竜宮城に行った浦島太郎が、そこで仙女と結婚することによって不老長生を得た。年もとらず若いまま楽しい生活を送っていたが、やがて郷里に帰らねばならなくなった。仙女との約束を破って玉手箱を開けたら白髪の老人になってしまったという話だ。竜宮伝説はそのまま蓬莱(ほうらい)伝説である。

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                                    浦島太郎の伝説が残されている寝覚の床

生も死もない神人合一の世界は、現実の世界と著しく異なる時間の流れの中にある。そこから出て現世に舞い戻るやいなや、相対化の世界が現実のものとして現れてくる。生と死が現象化して浦島はあっという間に老いてしまう。さて、木曽川の上流域から一転して、堀川の河口に当たる七里の渡し船着場のある宮の渡し公園。ここが「寝覚の里」(ねざめのさと)といわれている。尾張名所図会(おわりめいしょずえ)にそう書かれている。「寝覚の里」とは、東国から帰ってきたヤマトタケルが尾張国の宮簀媛命(みやすひめのみこと)と一夜をともにした翌朝、潮の音で目覚めた里とされている。すなわち合一によって海の向こうの常世の世界に目覚めた。そして合一のシンボルとしてその地に草薙の剣(くさなぎのつるぎ)が置かれた。

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 常夜灯からのぼる初日の出が上る寝覚の里

浦島太郎とヤマトタケルの話は、陰と陽、天と地、相対するものがひとつになったとき、生も死もない生きとし生けるものの理想郷が誕生するといっている。現世は、陰と陽、天と地、相対する関係性の中で生かされているが、この二元性を超克したとき永遠なる世界が立ち上がる。自分は物質的な存在で、相対的な世界で生きていると思えば、逆に即座に老いてしまう。この二つの伝承は私たちに一つの真理を教えてくれている。夢や理想といった永遠的なるものを追求する世界に生きようとするのか、はたまた右か左か、善か悪かといった比較、相対の現実世界を生きようとするのか、それはあなた次第だと。天と地の間に吹き渡っていく風のごとき存在として生きていくとき、私たちは永遠の今を授かるが、そうでないと限りある生命であることに冷たい岩肌の床で気づかされるのだ。 「寝覚の里」(ねざめのさと)は永遠なるものへの覚醒を促し、寝覚の床(ねざめのとこ)は現実世界への舞い戻りを意味する。このまったく転倒した世界認識はちょうど「あゆち」の中心と辺境を示している。ちょっと話が込み入ってきたが、私たちが夢や理想に向かって進んでいる状態が実は覚醒しているのであって、忙しい現実に振り回されている状態は実は眠っているのだ。現(うつつ)を抜かしていてはいけない。いつまでも現実に埋没していてはならない。夢や理想を高らかに掲げ、実現に向けて進んでいくことだ。夢を現実化する、そのとき「あゆち」の風が吹き渡る。 

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              犬山の南を流れていく木曽川中流域

(NPO日本文化を守る会・武家の里 石浦薫)

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