友禅。
やわらかでいて厳か。優雅でありながらどこか儚(はかな)げで、好きな言葉だ。もとは江戸時代の創始者、宮崎友禅斉という人名に由来するというのが不思議なくらい、日本的な美を象徴するのにふさわしい響きがする。
そこに「名古屋」を冠したらいかがだろう。
名古屋友禅。
若い人ならど派手なイメージを抱かれるかもしれない。ベタに「金しゃち柄」などを想像したり。
さにあらず。まったく逆で、京友禅や加賀友禅などよりも、むしろ質素で落ち着いた色柄が特徴なのだという。着物とは無縁な筆者も、そこにひかれた。
さかのぼれば江戸時代、積極的な開放政策をとった尾張藩七代目藩主、徳川宗春(1696-1764年)の下で産業として栄えたが、宗春の失脚後は反動で質素倹約がよしとされ、控えめになった。そんな歴史から始まって、時代の波に洗われながら、伝統産業として生き残った名古屋友禅。化学染料の普及や機械化も進むなか、昔ながらの製法を守る職人たちもいるという。その一人、名古屋友禅工芸協同組合理事長の伊藤勝久さん(67)の仕事場を訪ねると、想像以上のオーガニックなモノづくりの世界が広がっていた。
■“生もの”感覚
名古屋市昭和区の住宅街にある伊藤さんの自宅。二階の作業場は、色とりどりの染料が入った絵皿や大小さまざまな種類の筆であふれている。そこから伊藤さんは青黒い紙片を置いた絵皿を取り出し、小さなひしゃくで水をぽとり。するとたちまち鮮やかで、深みのある青い液体がさあっと広がった。
「これが『青花』といって、ツユクサを絞った青い液を和紙に染みこませたもの。最近は手に入りづらくなって、しかも高いんですがね」
そう言いながら、伊藤さんは年季を感じさせるしわの寄った指で、ついっと絵皿のふちをなぞった。

下絵描きに使う「青花液」。左が天然もの、右は化学合成した「化学青花」
父の代から続く名古屋友禅の「手描き」職人。型紙を張りつけてから染める「型友禅」に対し、繊細な模様を一つ一つ絵筆で描くのが「手描き友禅」。その下絵描きに使うのが「青花液」だ。純白の生地にくっきりと青い線を浮かび上がらせるが、水に浸せばきれいに消える。幾種類もの草花を摘み取っては絞り、先人たちはこの「青」に行き着いたのだろう。今では化学的に合成した「化学青花」があり、蒸気を当てればよりきれいに消え、しかも安上がりで重宝されるが、「やはり天然の青花のほうが描き味がいい」と、伊藤さんはこだわり続ける。
下絵ができたら、次は「糊(のり)置き」。青花の線に沿って糊を引き、色づけする際の境界線とする工程だ。ここでは「糊筒」と呼ばれる茶色い三角錐型の紙筒を使う。先端に金物の口をつけ、ちょうどケーキを生クリームで飾る要領で糊を絞り出す道具。和紙に柿渋を塗り重ねて丈夫にしてあり、最初は硬い筒も、使っているうちに柔らかくなり、手になじむのだという。詰める糊も主体はもち米。やはり水で洗い落とせば跡形もなくなる。耐久性を高める亜鉛末を多少混ぜたり、染料を吸着しにくいゴム糊を使い分けたりもするが、これだけの天然素材を、しかもそれぞれの特質を最大限に生かす技法には、ただただ感嘆する。

下絵の線に糊を置くのに使う「糊筒」。和紙の表面に柿渋が塗ってある
極めつけは、大豆。
水に浸した白大豆をこしてつくった汁を「呉汁(ごじる)」といい、糊置きをした生地に色を挿す前に塗る。すると挿した色が落ち着き、発色が良くなるという。伊藤さんが使う大豆はごく普通のもので、自らすり鉢でするなどして手作りする。「腐りやすいので作業の前日の晩につくって、すぐに使うんですよ」。まさに“生もの”感覚なのだ。いやはや、恐れ入った。
■清流復活の象徴に
そしていよいよ、友禅の出来を左右する「色挿し」の工程に入る。数種の筆を使い分ける繊細な作業。失敗は許されない。伊藤さんの目が光る。茶やねずみ色などを基調とし、控えめで、それでいて地味すぎない。絶妙な色づかいが、花鳥風月をモチーフとした艶(あで)やかな文様を浮かび上がらせる。
こうして丁寧に色挿しされた生地は、伊藤さんたち手描き職人の手から染め職人の手へ。染料の蒸着、引き染めなどの工程を経て、余分な染料や糊が洗い落とされる。ここで川に入って水洗いする光景が、いわゆる「友禅流し」。名古屋では市内中心部を流れる堀川上流の「黒川」で盛んで、川沿いには20軒以上の染色工房が立ち並んでいた時期もあったという。

伊藤さんの作品。色調はおさえつつ、華やかな雰囲気を醸し出す
しかし、時代は変わる。川には生活排水が流れ込み、とても布を浮かべる水質ではなくなった。また、友禅の素材も植物染料ではなく、大量生産の化学染料やゴム糊が主流となり、それ自体が汚染源となってしまった。今や水洗は屋内の作業となり、その排水処理も厳しく管理される。こうした流れと軌を一にするように、衣食住の文化は変わり、友禅の需要もめっきり減っていった。
それでも、悪いことばかりではない。黒川には1998年から庄内川の水が導入され、水質が大幅に改善。それを機に、友禅流しを川の浄化運動と結びつけて復活させようという動きが出始めた。黒川沿いのまちづくりに取り組む市民や行政は1999年から毎年、桜の咲く季節に友禅流しを企画、10年目となる2009年も3月末の開催を予定している。
受注減や組合員の廃業、後継者不足に悩む伊藤さんたちも、下を向いてばかりはいられない。友禅の技術を使った額やスカーフ、ネクタイを開発するなど、新境地を開拓中だ。
「今は地域性より、職人の作家性が評価される。仕事の量が減った分、時間をかけて、こだわりを見せられるようにもなりました」という伊藤さんは、こんなエピソードも披露する。「息子はコンピューターグラフィックスを勉強するといって跡継ぎにはならなかったんですが、最近になってこんなふうに言うようになりました。『コンピューターなんて今は誰でもできる。お父さんみたいに、誰でもできるわけじゃない仕事の方がいいじゃない』なんてね」
それを聞いて思った。いつかコンピューターと「融合」した、まったく新しい友禅が生まれるのではないか。そのときまでには、名古屋に清流が戻ってきているのでは。生物多様性の保全は、今より大きな流れになっているのでは-。
あながち、夢ではないかもしれない。伊藤さんの作品をしげしげと見つめながら、一人想像を楽しんだ。
(関口威人)


















