生物多様性を語るのに欠かせない言葉がある。「バイオミメティック」。生物(バイオ)を模倣する(ミミック)技術の総称で、「バイオミミクリー」「ネイチャーテクノロジー」などとも呼ばれる。それが生物多様性といかに関係しているかについては本連載を通じて明らかにするとして、例えばどんなモノ?という答えを求め、またもや名古屋大学へと足を運んだ。今回は農学部でも理学部でもない。「エコトピア科学研究所」という、ちょっとSFチックな響きのする研究部門だ。
■プラズマで「はっ水」加工
登場願ったのはお茶の水博士、とまではいかないにしても、とても親しみやすい笑顔の研究者、名大教授の高井治さん(61)。「ハスの葉」をまねて、どんなものにも「超はっ水加工」をする技術を開発したという、日本のバイオミメティック研究の第一人者だ。
「まあ、まずは見てください」
そう言って高井さんは自ら腕をまくり、一見何の変哲もなさそうな紙皿にスポイトで水をチュルっとたらした。するとどうだろう。確かに水滴が大粒のままコロコロと転がっていく。続いて小ぶりの鉢皿にもジュルッ。ここでは水がこんもりとレンズのように盛り上がった。さらに金網の上にポトリ。なんと水は網の目を通り抜けず、ゆるゆると水滴の形を保っているではないか。
まるでマジックを見ているようだが、これは科学。タネも仕掛けも、当然ある。
「ハスの葉の表面には1000分の1ミリぐらいのデコボコが無数にあって、さらにワックスのようなもので表面が覆われています。それに近い微細な突起を、ガラスやセラミックから金属、紙にまで施せるようにしたのです」。サービス精神いっぱいの高井さんは実に丁寧に、わかりやすく「タネ明かし」をしてくれる。つまりハスの葉仕様のコーティング技術ということらしい。

電子顕微鏡でみたハスの葉の表面の突起とその上の微小水滴

人工的に作製した「超はっ水」膜の表面とその上の微小水滴
実験装置は業務用冷蔵庫ていどの大きさ。反応時間も数分で済んでしまうから、まさにレンジでチンという感覚だ。ただし、その中で起きているのは「プラズマ」反応。物質から電子が遊離し、激しく飛び交う「火の玉の正体」ともいわれる、あれだ。プラズマ状態では物質の化学反応性が高まる。そこに有機シリコン化合物を原料としたガスを注入すると、10万分の1ミリ以下の微粒子が発生する。それがあらかじめセットした基板上に「降り積もり」、1万分の1ミリほどの「デコボコ」ができるという仕組み。簡単なようにも聞こえるが、ハスの葉のようにうまく水を弾く性質を得るには、原料選びやプラズマ状態の制御に試行錯誤を繰り返したという。その成果はまさしく10年以上にわたる地道な努力の結晶であったのだ。
■原点は「生物画集」
東京生まれの高井さんは横浜国立大で「安全工学」を、東大大学院で「金属工学」を専攻。原子レベルでの金属材料の研究などに打ち込んできた。
だが、高井さんのユニークさはその経歴の“裏”にある。それは例えば研究室の本棚を見渡してみればわかる。化学、建築、サル学…。まさにジャンルを横断する蔵書の山。その中から、高井さんはひときわユニークな大型本を取り出した。『ART FORMS IN NATURE』。ドイツの博物学者エルンスト・ヘッケルが、20世紀はじめに発表した生物画集だ。百数十ページにわたって細密に描かれているのは、ヒトデやクラゲ、微生物などの幾何学的な形態。まさに生命の神秘、自然の秩序と法則性を感じさせる。学生時代にこの本を見て驚嘆した高井さんは、「こういうものにならった材料をつくってみたい」と思い立った。
東大助手や関東学院大助教授を経て1992年、名古屋大工学部の教授に就任。地縁も血縁もない新天地の研究環境でチャレンジしたのが、温め続けてきた「自然に学ぶ」材料開発だった。当時はまだ周囲の関心も薄く、「どこまで実用化できるの?」といぶかしがられもしたが、環境意識の高まりから徐々に追い風を受け始めた。2002年には若手研究者を中心とした領域横断型の研究「自然に学ぶ材料プロセッシングの創成」が文部科学省の21世紀COEプログラムに採用、高井さんの「ハスの葉」はその代表事例として注目される。さらに05年の愛・地球博(愛知万博)開催を挟んで、研究は一気に進展していったのだ。

ハスの葉の突起をさらに拡大すると、直径50ナノメートルのチューブの集まりになっている
(電子顕微鏡写真はいずれも高井さん提供)
ハスの葉をさらに子細に観察すれば、デコボコの表面は無数の「チューブ」の集まりになっている。一方、同じくはっ水性のあるサトイモの葉は「プレート(板)」の集合体。この違いは何なのか。人間はそれをどう「まねる」ことができるのか。こんなことからバイオミメティックと生物多様性との関係を探ることができそうだ。
「生物のすぐれた機能は生物種によって違います。その多様性から学ぶ点は本当に多い。でも学ぶこと自体が難しく、“学びきれない”かもしれません。こうしているうちに一日何百種という生物が絶滅していると言われるのですから。そこを“いかに学ぶか”がわれわれの課題です」
■プロセスが重要
この分野の最新にして最重要な一般書『自然と生体に学ぶバイオミミクリー』(オーム社)のなかで、著者の米国人作家ジャニン・ベニュスはアリゾナ大出身の研究者ポール・カルバートの言葉として次のように記している。「(われわれの)目的は、自然のデザインの角度や構造を単純にコピーしたり、材料をそれらに近い形でつくりあげることではない。本当にやりたいのは、たとえば、生物体がいかに完全な結晶を成長させ、それを役に立つ構造につくりあげるかという、製造のプロセスを見習うことである」-。
現在の産業は高温、高圧下で莫大なエネルギーを要する。こんなモノづくりにはいずれ限界がくる。それに対して自然は常温、常圧なのに貝殻のような頑丈な構造物をつくる。その過程を学び、環境負荷の小さい生産プロセスを開発していくのが、ベニュスの名付ける「バイオミミックス(バイオミミクリーの研究者)」たちの共通目標らしい。
高井さんも例外ではない。
「プラズマ」などというと相当なエネルギーを必要とするイメージをもってしまうが、高井さんが選んだのは蛍光灯と同じ原理の「常温」下での反応。さらに新たな研究では分子の「自己組織化」を利用し、より環境負荷をかけずに安定的な分子膜をつくる技術を探っている。

「超はっ水」加工のための実験装置。中央の丸窓の部分にガラスや紙をセットする
その応用の可能性は自動車のウインドーやサイドミラー、レインコート、ビルの建材など幅広い。すでに印刷会社などとの共同研究によって「超はっ水ナノ分子ペーパー」の開発が進む。現在の装置は1時間に300枚の高速処理、A2サイズまでの対応が可能で、コスト的にも実用化のゴールが見えてきた。雨や汚れをはじく紙。例えば選挙用ポスターなどには最適だという。
「でも、総選挙がいつになるかわからなくなっちゃいましたからね…」
最後まで茶目っ気たっぷりな高井さん。その笑顔の裏で着実にまいてきたタネが芽吹き、いま開花しようとしている。
(関口威人)


















