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めざすは、ユートピアだった里山と「菅古道」の復元 - 小林栄次郎さん
(2008年10月11日 08:54)

長野県木祖村で、里山を昔のような実り豊かな情景にしたいと情熱を燃やす人がいる。菅古道の復活にも取り組む、小林栄次郎さんに話を聞いた。

「私が中学生の頃、菅古道は学校に行くときの道、遊びに行くときの道。古道下に望む里山の風景は、山ツツジやササユリが咲き乱れるユートピアのようでした」と語る。それからおよそ40年。今、その古道と里山は-?

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ユートピアのようだったと語る、木祖村の里山の復元をめざす小林栄次郎さん

長野県木曽郡木祖村。木曽川の源流のあるところだ。菅地区にある菅古道は、木曽から飛騨や松本に通じる人馬の道、また薪や炭を搬出するための道でもあった。明治18年に、村人総出で古道に沿って水路を作り、この菅村水路のおかげで米作ができるようになったという。秋の収穫時には、小林さん言うところの、ホレボレするほど美しい黄金色の棚田の風景が広がっていた。ところが、馬が消え、炭焼き農家が消え、利用されなくなった古道にはいつしか藪が覆いかぶさり、道は姿を消した。

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 甦った「菅古道」から見下ろす、のどかな里山の風景

「栗、グミ、山梨、あけび、山ぶどうなどが豊富にあって、ワラビ、シオデ(野生のアスパラ)、フキなんか抱えるくらいに採れたんです」。小林さんは昔の里山の風景を取り戻したいと、定年になる10年ほど前から、竹藪や雑木林となっていた耕作放棄地を借り受けて切り開き、ミョウガや米を作りはじめた。4年前、熊手を持って古道の藪をかきわける、初老の男性と出会う。野中杏一郎さん。菅古道は野中さんの所有する山林の脇を通っていた。菅古道の復活に執念を燃やす野中さんと意気投合した小林さんは、古道の復元にも取り組むようになる。仲間の応援もあって、今、菅古道は土の感触がやさしい、美しくうねった道として全長4キロがほぼ復元された。そこから望む里山では、瞼に焼きついていた四季折々の彩りが徐々に見られるようになってきた。

古道復活の恩恵で間伐もできるようになった。木を間引くと、太陽が大地に差し込む。「オニヤンマやアゲハチョウがすぐに飛んでくるようになる。沢にはイワナが増えてきています。ワサビももう少ししたら、昔のように生えてくるのでは」。藪だらけの真っ暗な沢には、川虫など魚のエサとなる生物が棲息しづらかった。「昔の山ツツジが残っていて、ようやく花が咲くようになりました」。山が長い眠りから醒め、小さな命たちがいっせいに萌え出したよう。 

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「雨が降って山が息をしはじめた」と、小林さんは言う

沢沿いを歩く。沢の水が年々減りつつあるという。落ち葉は、1割くらいしか堆積していないとも。「昔は、落ち葉で歩けないほどでした」。それは、山に保水力があったことを意味する。密集した中の広葉樹は不健康で葉も少ない。間伐して、木漏れ日の当たる森にすると、下草が生え、広葉樹の葉も根張りもしっかりして保水力も増す。結果として土砂崩れなどの自然災害が防げるのだ。植林後、長いあいだ放置されていた現在の山では、保水力が弱まっているという。 

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山から切り出した間伐材で暖炉に火をつけ、風呂もわかす

リタイアして2年。毎日、藪を刈ったり、間伐したり、沢の整備をしたり。夜もワクワクして眠れない。まるでとりつかれたように。「木を切ると、風が変わるんです。そうすると、風景も変わる」。これ以上の趣味はない、と少年のような瞳で話す。「今、山を守らないと、たぶん数年でここは限界集落になってしまうでしょう。イノシシが、もう我が家の軒下まで来ています」。鳥獣被害のせいで、踏みとどまっていた農家もついには希望を持てず、離農していく。一刻も早く間伐をし、動物が本来の姿で山で暮らせるように山の手入れを急がなければ。小林さんらの情熱が、行政をも動かしはじめた。

「菅古道は、動物と人間にとっての生命線なんです」。甦った道に必要なのは、大勢の通行人だ。小林さんは多くの人々が、菅古道を踏みしめながら、里山の風景を楽しんでくれることを心から願っている。

(浜村良子)

*関連記事:http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/10/08/4208

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