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《特別インタビュー》作家・童門冬二さんに聞く ‐ 天下人と「あゆち思想」前篇
(2009年7月6日 12:19)

2009年の初めから、シリーズ「あゆち思想の源流を探る」を特集していますが、今回、「あゆち思想」について造詣の深い童門冬二(どうもん・ふゆじ)さんにインタビューを試みました。歴史作家として多くの著書を出され、現代人の生き方に多くの示唆を与えている童門さんの仕事場を訪れました。インタビューでは、尾張地方出身の3人の天下人、信長、秀吉、家康が輩出された背景と持論の「あゆち思想」の関係にスポットをあてて聞いてみました。前後編の2回に分けてご紹介します。

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       「あゆち思想」は、実際に風を体感した者だけがわかる

石浦:まず童門さんが言われる「あゆち思想」とは、一体、どういったものでしょうか?

童門:愛知県の尾張地方には古くから「あゆち思想」の伝説があります。「あゆち」とは「海から吹いてくる幸福の風」のことで、

 桜田へ鶴(たづ)鳴きわたる年魚市潟(あゆちがた)

                                           潮干にけらし鶴(たづ)鳴きわたる

と、万葉集のうたにも詠まれています。日本の四辻、真ん中にある尾張は、その風を受け止める場所だと伝えられているわけです。愛知県の「あいち」という名前もそれに由来するといわれています。つまり、信長はこの「あゆち」の風を尾張だけでなく日本全国に吹かせたいと考えていたのではないか、とぼくは思っているわけです。これはぼくの持論です。

もうひとつこの地方には「蓬莱(ほうらい)」伝説がありまして熱田神宮のことをいいます。「蓬莱」というのは、いわゆる中国の徐福伝説で出てくるユートピアのことで、家康は戦いの世の中を終わらせるという意味をこめて平和のシンボルとして名古屋城を建てました。江戸城の支店ではありません。そういう意味で、当時、名古屋城は「蓬左城」(ほうさじょう)と呼ばれたのですね。つまり蓬莱である熱田神宮を中心にして熱田神宮の左側にあるお城という意味です。

石浦:信長も家康も天下人になった理由を童門さんはそのあたりに求められていますね。

童門:そうですね。信長は若い頃は「かぶき者」「うつけ者」と陰口をたたかれながらも、よく旅人と接触していました。旅人は他国から来てまたどこかへと去っていくパッセンジャーであり、まさに日本の四つ辻である尾張の地に立って、信長は民衆のニーズをマーケティングしていたのでしょうね。こうして得た民衆のニーズのうちで最も切実だったのが、一日も早く、この国を平和にしてほしいという悲願だった。これは女性のいちばんの願いです。

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                自著に囲まれた仕事場でインタビュー

次に雇用を創出する、家族を幸せにする、身分格差のない平等な世界をつくる、正義を重んじる、さらに生涯学習ができる世の中にする、つまりカルチャー(文化)を重んじたのです。千利休を重んじたのはそのためですね。政治の世界の天下一は信長ですが、お茶の世界の天下一の称号を信長は利休に送ったのです。茶の湯を盛んにしてお茶の世界の独自の価値観、文化を広げていった。茶室を作ることによって数寄屋造りという新しい建築ニーズを興し、林業を盛んに。また庭への造詣が深まり造園家が活躍しました。お茶に関する陶芸品、茶道具を開発して茶人だけでなく装飾や意匠を凝らす芸術家を育てていきました。各分野で活躍する人に天下一の称号を与えていったのです。ここが秀吉との違いでしょうね。自分をおいてほかに天下一はいないとした秀吉の了見とは大違い。

いずれにしても、信長にしても、秀吉にしても、そして家康もそうだが、やはり一日も早く戦乱を終息させて、平和な時代、豊かな社会をつくろう、という思いは非常に強かったのです。とくに信長は堺に行ったとき、千利休に会ってカルチャーショックを感じた。お茶の文化に触れて一般市民のカルチャーに影響を受けたのです。これまでの「一所懸命」という言葉がありますが、ひとつの所に命を懸ける、つまり「土地」を重んじる思想です。これを変えるべきだと信長は思ったわけです。それがカルチャーだったのです。お茶の文化だったのです。合戦で功を挙げなくても古田織部や小堀遠州のような茶人といった文化人も大名になれる時代になった。

いちはやく信長は民衆のニーズをキャッチしたのですね。信長はこれを尾張に古くから伝わってきた「あゆち思想(海から吹いてくる幸福の風は、日本の四つ辻である尾張に吹き寄せるという考え方)に結びつけたのではないでしょうか。そしてその風を全国に広めたいと思ったのでしょう。信長が「天下布武」を打ち出したのも、家康が秀頼を追いつめ滅ぼしたのも、天下人になるという個人の欲望もあるでしょうが、それだけではなく悲惨な戦乱の世の眞の終結という、民衆の大いなる願いの実現を目指したのでしょうね。

とくに尾張地方は肥沃な土地で、自然の恵みの豊かさでは他国に劣ることはありません。さらにこの地域は新しい技術の習得にも意欲的であり、一例をあげれば愛知県の西尾地方のインド木綿は渡来人からもたらされましたが、日本で初めて木綿が全国に普及することになったのです。戦乱を終わらせて、この平和な世界のもと、ソフトとハードの両面から幸福な風を全国に吹き渡らせたいと思ったのでしょうね。 (つづく)

(聞き手:石浦薫、写真:伊藤剛)

■童門冬二さんプロフィール

かつて東京都に勤め、都立大学事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長という重職を歴任したあと、1979年の退職後から作家活動に専念される。歴史上のリーダー像を描いた著書は現代の多くの経営者に読み継がれている。

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