≪蓬莱(ほうらい)とは理想郷、桃源郷のこと。熱田神宮を指し、古くから尾張地方に伝わる「あゆち」思想の拠り所であると作家の童門冬二さんは持論を展開している。確かに万葉集にも歌われている「あゆち」は、「あゆの風」、つまり「海から吹いてくる幸福の風」のことであり、愛知県の語源になっている。そこでこの「あゆち」をキーワードに、「あゆち」とはどんな風か、この地に伝承されている「あゆち」思想とは何かを探ってみた。 ≫

常夜灯のある七里の渡し船着場
さて、童門さんの持論を考える手がかりとして、まず万葉集に詠まれている歌を検証してみよう。高市連黒人(たけちのむらじくろひと)によって詠まれた歌には、現在の藤前干潟に連なる肥沃な干潟一帯、潮が引き、餌となる魚や貝などがとりやすくなった風景が歌われている。「鶴(たづ)鳴きわたる」と二度繰り返して詠まれているところから延々と白鳥が群がっている光景がはるか彼方まで続いている様子が想像できる。まさに多様な生物が集まる土地であった。
桜田へ鶴(たず)鳴きわたる 年魚市(あゆち)潟潮干にけらし鶴(たず)鳴きわたる
古来より蓬莱(ほうらい)の世界に必ず描かれる生き物がある。それは鶴と亀。鶴は千年、亀は万年、天と地の間に生きる生物の象徴として不老不死とまでは言わないが、長寿のシンボルになっている。この天と地の間に吹き渡る風が「あゆち」である。冬の間は「伊吹おろし」の風が吹くが、それ以外の季節は、海からの風「あゆち」が吹く。生きとし生けるものをはぐくんできた「あゆち」の風土。現在の熱田神宮の南、宮の渡し公園に立つと、その心地よい風「あゆち」は私たちをなんともいえない幸福な気持ちにしてくれる。これは実感しなければ分からないかもしれない。古渡にいた信長、中村にいた秀吉、熱田にいた家康、同時代三人はこの風の存在を知っていた。
かつて七里の渡し船着場には、「浜の鳥居」があった。現在はないが、大正時代まであった。安藤広重の描く「東海道五十三次・宮」に描かれている鳥居である。これは熱田神宮の「一の鳥居」ではない。熱田神宮との関連性が問われるが、私はこれを「あゆちの鳥居」だと推測する。つまり海に向けて立てられた鳥居ではなかろうかと。風の参道。海から渡ってくる風への信仰が鳥居の存在に込められていると。なぜなら室町時代の熱田神宮古絵図を見ると、厳島神社の鳥居のように海の中に立っているからだ。
童門さんは、尾張はその風を受け止める場所であり、信長がまず戦乱の世を早く終わらせるため天下人として出て、秀吉が受け継ぎ、家康が完成させたとする。家康は名古屋城を蓬莱(ほうらい)の左側に位置するお城だということで、蓬左城と呼び、平和のシンボルとして碁盤割の城下町と物流ルートの堀川をつくったのだと。
(NPO日本文化を守る会・武家の里 石浦薫)
童門冬二さん講演:http://goodnews-japan.net/news/blog/2008/11/29/4870





















