「堀川1000人調査隊」は、霞ヶ関では知られた存在という。「日本における市民・行政との協働は、堀川からはじまった」というのが僕たちの夢、と立ち上げメンバーの一人、服部宏さんは目を輝かせる。
それまでの地域密着型の活動を核とするものでなく、“堀川の浄化”という、テーマに特化した目的で組織された日本初のライオンズクラブ、「名古屋堀川ライオンズクラブ」。会費をできる限り安く抑えるため、インターネットを活用して合理化を図りたい。堀川の浄化に尽力し、その再生を夢見る長老の一人は、新生ライオンズを、こう展望していた。そこで声をかけられたのが、服部さんだった。
「当時は堀川に関して全く無知でした。ただ、水に関しては縁がありました。銀行員時代は、堀川沿いに支店があったし、その後、家業を継いだのですが、それが水道工事業。また、高校・大学と水泳部でした」。何となく川に呼ばれているような気がして堀川ライオンズクラブの会員となった折りも折り、メンバーの一人が内閣府の「全国都市再生モデル調査事業」に応募した懸賞論文、『市民の視点で堀川を調査』が、名古屋市も含めた応募総数600件余りの中から選出されたという吉報が舞い込む。喜びに浸るも束の間、助成金約530万円を元手に年度内には調査事業に着手しなくてはならないことに。当時クラブは産声を上げたばかりで、メンバーは26名しかいなかった。
すぐさま「1000人集めよう!」を合言葉に、堀川ライオンズクラブが事務局となり、2003年10月に「堀川1000人調査隊」が誕生。10人×100隊=1000人と目標を定め、名古屋にある残り31のライオンズクラブに主催者になってもらい、3隊ずつ作ってもらうよう協力をお願いした。結果は目標を大きく上回り、217隊2170人。子ども、学生、お年寄りと、幅広い年齢層の市民が集まった。こうして、第1次調査(2004年2~7月:庄内川からの導水量を一ヵ月毎に増量させ、水質や、魚、ゴミなどの量を調査)は、大成功に終わった。
このとき服部さんは、裏方として情報蓄積型のホームページの作成や、インターネットのシステム構築に心血を注いだ。パソコン上で見る個々の調査レポートが隊員相互のいい刺激となり、メーリングリストでは情報の共有化が図られ、意見交換も活発に行われるようになった。お互いに顔も知らない隊員たちが、一つのネットワークでつながっているという連帯感の中に溶け込み、その中で共通の思いを強くしていった。「堀川をもとの清流に甦らせたい」・・・。
2005年、名古屋市水道局から「もう一度、堀川1000人調査隊を復活させてほしい」という依頼が来る。下水処理場で、凝集剤を入れた時と入れない時とでひと月毎に堀川の様子を調査したいというのだ。かくて行政と市民との協働が実現。この第2次調査(2005年10月~2006年3月)でも調査隊は素晴らしい活躍をし、市長は下水処理場での高度処理を恒常的に行うことを宣言した。
現在展開している第3次調査隊は、①定点観測隊(水の汚れやにおいなどを定期的に調査する)②自由研究隊(歴史や文化など思い思いのテーマで調査する)③堀川応援隊(調査はしないが、活動を支援する)の3つに分かれ、誰でも好きな隊に所属することができる。現在の隊員数は、6,500人余り。木曽川からの導水実験による第3次調査を行っている最中だ。
透視度は確実に上がっているが、服部さんは言う。「市民の心が変わらないと、堀川は根本的にはきれいにならない」。では、市民の心を変えることは果たして可能なのか?服部さんは確信している。「わたしもちょっとしたきっかけで誘われ、活動していくうちにこんなに変わった。誰だって変われるんです」。だからなるべく多くの人に、まずは堀川に触れてほしい、足を運んでほしいと、イベントを企画したり、花を飾ったりと工夫をこらす。生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開かれ、名古屋開府400年を迎える2010年までには隊員数3万人を目指す。同年に公開予定の、堀川を舞台とした大林宣彦監督の映画「夢の川」も、大きな追い風になるに違いない。
経営者として多忙な毎日を過ごしながらも、ホームページを更新する努力を怠らない。みんなの気持ちが冷えないように、日々新たな熱を吹き込んでいく。それが裏方としての使命と心得ている。仕事の合間のほんのわずかな時間でも、隊員へメールの返事を書いたり、最新の情報を書き込んでいく。オンもオフも、心にいつも堀川がある。
旅行は決まって、水辺巡り。「松江にも堀川があるんです。今度妻と行こうと思って」。照れた笑顔から、奥様への感謝が感じられた。
(浜村良子)
*服部さんの会社:朋和設備工業株式会社
*9月3日(水)の「Risa」(中日新聞に折り込まれる環境情報紙)に、関連記事が掲載されます。






















